1.はじめに
2.リートベルト法に関する認識 --- 解析以前の問題
3.強度データの測定
4.リートベルト解析に必要な結晶学的知識
5.リートベルト解析の進め方
6.解析結果の吟味と検討
7.論文の作成
引用文献
この文書はリートベルト解析にこれから取り組もうという人にとって非常に参考になるので,本ホームページでも公開することしました.FAQと重複する部分がかなり多いのですが,日本語で書かれているので,英語ぎらいの方にはきっと気にいっていただけるでしょう.
なお,同じ文書をPDF化したファイルもあります.アクセスされたい方は,次のボタン
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リートベルト法が結晶学的研究のための有力な手段であるのはいうまでもないが,(1) 結晶性の程度の評価法,(2) 状態分析法,(3) 定量分析法としての側面ももっている.第一に等方的・異方的なプロファイルの広がりから結晶子のサイズとミクロひずみ(microstrain)の大きさを見積もることができる.第二に,非対称単位中の各サイトの置かれている物理的・化学的状態 --- 理想位置からのずれ,占有確率,熱振動,磁気モーメントなど --- を定量的に調べるのに役だつ.分析化学や地球化学などでは液─液,固─液,固─固のような2相間の物質の分配をしばしば扱う.これに類似したものとして,結晶相内部の元素の分配が挙げられるが,複数の結晶学的サイトへの金属の分配などを調べるのにはリートベルト解析が有効であることが多い.Bond-valence sum [1] を利用すれば,金属─酸素結合距離から金属原子の酸化状態を容易に見積もることができる.第三に,リートベルト解析の副産物として得られる各相の尺度因子から,2相以上の混合物を容易に定量することも可能である(厳密にはmicro-absorptionの補正が必要)[2].このような「懐の深さ」は,従来の粉末回折パターン解析法とは比較にならないほど高い利用価値と汎用性をリートベルト法に与えている.
粉末回折データを用いて結晶構造を解析しようとするとき,とくに留意するべきなのが,試料の質(結晶性,純度,均一性)である.とりわけ,サンプルが純粋であることは,信頼性の高い(高精度の)構造パラメーターを求めるのに不可欠な条件といって過言でない.しかし,最近のリートベルト解析用ソフトウェアには多相解析機能がたいてい内蔵されているので,不純物の量が少なく,その組成と結晶構造が既知ならば,解析に大きな支障をきたすことはない.
原子炉,加速器,装置の建設・運転,安全管理経費などを勘定に入れると,中性子線はきわめて高価なビームである.したがって中性子回折をX線回折と同様に考え,安易な気持ちで利用してはならない.X線回折でも十分な精度で解析できるような化合物には適用するべきでないし,あらかじめX線回折で解析がうまくいく見通しを得てから中性子回折実験に着手すべきである.
中性子回折実験に必要な試料の量(ふつう数グラム)はX線回折に比べかなり多い.
試料を大量に合成するために合成法を変更した結果,不純物が混入してしまったというケースが実に多い.普段と同様の方法で何度も合成を繰り返すのが,結局はもっとも早道となることを強調しておきたい.
国内外の研究者が発表する粉末結晶解析の論文を読んでいて気にかかるのが,不純物の多い試料をしばしば使っていることだ.高名な研究者の中にもそのような論文を平然と発表している人がいるのは,実に嘆かわしい.とくに固溶体を扱っている場合は,化学組成が出発組成からかなり逸脱し,金属サイトの占有率が必然的に不正確になってしまう.正体のわからない不純物がかなり含まれている試料しか手に入らないのなら,解析結果を論文として投稿するのは控えるべきである.
粗大粒子が存在すると,デバイ-シェラー環に斑点が現れ,特定の反射の強度を増大させる可能性が高くなる.とくに高温で合成された粒成長の著しい試料を扱うときは,粗大粒子を極力減らすよう努力する必要がある.粗大粒子が混入しているか否かは,いわゆるωスキャンで容易に知ることができる [3].ωスキャンはデバイ-シェラー環に沿って回折強度を計数することに相当する.粗大粒子のスポットがデバイ-シェラー環に含まれていると,強度が滑らかでなくなり,「ひげ」が生えているような状態になる.
実測と計算X線回折パターンを比較して選択配向の程度を調べ,著しい差が認められるようだったら,なんとかして選択配向を抑制するよう工夫しなければならない.われわれは試料を接着剤で包み込むことにより配向を緩和するよう努めている(岡山大学理学部,圓山 裕氏の示唆による).すなわち,めのうの乳鉢の中でセルロース系の接着剤(たとえばセメダインC)をアセトンのような有機溶媒で希釈してから,サンプルをその中に分散させ,揮発成分が完全に蒸発した後,残った固形物を粉砕するのである.このように簡便な方法ではあるが,これまでの経験によれば,おどろくほど効果的だった.
中性子回折では,円筒形のセルに試料を流し込むため,余計な力が試料にほとんどかからない.選択配向は試料の表面近くほど顕著だが,中性子ビームは一般に試料によって吸収されにくいので,試料の奥深くまでビームが入り込む.したがって接着剤で試料をコートしても効果があまり出ないときは,中性子回折を利用するほうがよいだろう.
B, Cd, Gdなどの元素は中性子吸収断面積σaがきわめて大きく,中性子を吸収しやすい.このような元素を主成分として含む化合物は,中性子回折の対象として不向きである.中性子回折実験を行うか否かを検討する際には,中性子散乱径・断面積の表を参照し,干渉性散乱径 bcばかりでなく,σaの値もチェックする必要がある [4].
単結晶X線解析でも同じだが,いきなり複雑な構造の解析にチャレンジしたり,結晶学の教科書やRIETANのマニュアルを読んでばかりいるのは,あまり賢明でない.初心者はまず標準物質の強度データを解析し,プログラムの操作にある程度慣れ,成功の快感を味わった後に,より複雑な構造へと移行していくことをお薦めする.スポーツ,遊び,勉強などと同じで,まず簡単なことから始めてみること,実戦で鍛えながら知識の導入もはかることが解析技術の速やかな習得へと通じる近道である.
波長や装置定数のキャリブレーションには,National Institute of Standards and Technology (NIST)が製造している標準試料であるSi粉末(SRM 640c)を用いるとよい.これには298.1 Kにおける精密な格子定数aと各反射の2θデータが付属している.このほか,NISTは低角ピーク測定用のSRM 675(フッ素金雲母,45,000円)や回折強度チェック用の5点セットSRM674a(α-Al2O3,ZnO,TiO2,Cr2O3,CeO2,83,000円)も頒布している.いずれもオーバーシーズ・エックスレイ・サービス(電話:03-3400-5988)から購入できる.
ミクロひずみや結晶子サイズが変化する恐れがあるので,標準物質は砕いたり加熱したりしてはならない.また標準物質の解析では,格子定数を測定温度に応じて補正した値に固定して,他のパラメーターを精密化する.Siなどの線膨張係数は理科年表の物理/化学部(光と電磁波)に与えられている.こうして得られた零点シフトやプロファイル・パラメーターは,以後のリートベルト解析の初期値として再利用できる.
1.はじめに
実はこのページの内容は既存のLaTeX文書(粉末回折の講習会や大学院での講義のために作成しました)をHTML化したものにほかなりません.出版物では
knowhow.pdf
2.リートベルト法に関する認識 --- 解析以前の問題
リートベルト法を適用するのは単結晶が得られないときや双晶を形成するときに限るべきだという固定観念を抱いている人がいまだに多いが,材料科学の立場からみると,このような考えは認識不足といわざるをえない.実用に供せられる金属・無機材料 --- たとえば誘電体,高温・構造材料,触媒,生体材料など --- はほとんどの場合,多結晶である.単結晶と多結晶材料そのものの構造パラメーターは多かれ少なかれ異なっているといって過言でない.もちろん粉末法にはピークの重畳に起因する情報の部分的欠落という問題がつねにつきまとうが,測定法が簡便なこと,サンプルを合成しやすいこと,単結晶法でしばしば問題となる消衰効果がほぼ無視できることと相まって,独自の存在意義をもっていると評価すべきである.
3.強度データの測定
リートベルト法は,合成条件,化学組成,回折実験における測定条件(温度,圧力)を少しずつ変えたときの構造変化を調べる場合に,もっとも本領を発揮する.新しい結晶構造を解析したのならともかく,単独の結晶データだけから多くの事実を引きだそうとするのは,無理であると同時に危険だ.一方,複数の系統的な実験から得られた解析結果を相互に比較したりグラフ化したりすれば,結晶構造と物性や化学的性質との関係についてずっと多くの情報が得られるのが常である.
4.リートベルト解析に必要な結晶学的知識
“International Tables,”Vol. Aの読み方など,リートベルト解析を実行するにあたって最低限必要な結晶学の初歩知識については,ここを参照していただきたい.
初心者にとってとくに間違いやすいのが,同価位置の概念である.リートベルト解析にかぎらず,結晶学的計算プログラムでは,同価位置のうち代表として一組の原子(分率)座標だけを入力するのが常識となっている.残りの座標はプログラムが空間群の対称操作を使って自動的に発生してくれる.
対称中心のない空間群では,原点のとり方に任意性があるものが存在する [5].任意性があるか否かについては,空間群の一般同価位置に正負の符号があるか否かで判定できる.任意性がある場合は,原点を指定しなければならない.さもないと座標が不定となり,最小二乗計算が止まってしまう.
旧世代の構造精密化プログラムでは,占有率gj(サイトjが占有される確率で,100%占有されたとき1となる)でなく,gj x(同価位置の数)/(一般同価位置の数)あるいはそれに定数を掛けたもの(たとえば単位胞中の原子数)を精密化するようになっている.同価位置の数は“International Tables,”Vol. AにおいてWyckoff位置名の前に(4m,1aのように)置かれている.RIETANで精密化するのはgjそのものであることに注意すること.なお,あるサイトを占める原子の単位胞内の総数はgj x(同価位置の数)に等しい.
金属や無機材料の構造を精密化するときは,空間群,格子定数,原子座標などの結晶学的データがまず必要となる.代表的な化合物の結晶データと構造的特徴を知るには,文献 [6─8] が役立つ.
異方性原子変位パラメーター(anisotropic atomic displacement parameter)間に成立する制約条件を設定するときは,同価位置の座標に注意を払う必要がある.PeterseとPalm [9] の表が利用できるのは,同価位置のうち“International Tables,”Vol. Iの最初に書かれている座標に対してだけで,2番目以降の座標にも同じ制約条件が成立するとはかぎらない.なんらかの事情で,どうしても1番目以外の座標を使いたいときは,2階対称テンソルを用いた方法 [5] により自分で制約条件を決めなければならない.
ある程度,解析のセンスが身についてきたら,BurnsとGlazerの本 [10] を必要に応じて読むとよい.空間群に関する理解がさらに深まるはずである.
リートベルト解析の初期段階では,ピークから遠く離れた裾野の末端までプロファイルの計算に含めずに打ち切っても(具体的には,プロファイル打ち切り係数cpを小さくとっても)実害は少ない.しかし演算時間ははるかに短くなり,能率的である.解析にめどがついた段階でプロファイルの計算範囲を広げてやればよい.
固溶体のように同一サイトを二つ以上の化学種が占有しているときは,両者の原子座標や原子変位パラメーターを共通とし,占有率だけ個別に割り当てる.また化学組成や占有率の合計がわかっている場合は,占有率に線形の制約条件を付加することにより,これらの情報を解析に導入するべきである.
R因子が順調に下がらないときは,構造モデルを再検討する前に,リートベルト解析の結果をディスプレイ上で眺めてみるとよい.解析がうまくいっていない理由が即座にわかることがある.
原子変位パラメーターは種々の原因によって生じる誤差の「はきだめ」になりやすい.このため解析の途中で,特定のサイトの等方性原子変位パラメーターBjが物理的に意味のない値(たとえば負の値や極端に大きな値)に収束してしまうことがよくある.全回折強度に対する寄与の小さいサイトでBjの精度が低くなるのは当然だが,構造モデルが不完全な場合もこのような症状がしばしば出てくる.前者の場合は,いくつかのサイト(とくに同種の原子)のBjを共通にして取り繕うのが常套手段となっている.
負の原子変位パラメーター(BjあるいはβII)は,プロファイルを計算する2θ範囲が広すぎるときにも生ずる.RIETANでは,ピーク位置から両側にcpHk(Hk: 半値幅)の範囲内でプロファイルを計算している.cpが大きくなると,バックグラウンド・レベルが明瞭でない高角領域においてバックグラウンド関数の値が小さくなり,その結果,ピークの積分強度が増す傾向がある.高角領域における積分強度の増加は原子変位パラメーターの減少をもたらす.したがって,原子変位パラメーターが負になってしまうときは,cpを小さくすると正になることが多い.
Bjが異常に大きいサイトは一部欠損しているか,理想位置から変位している可能性が高い.前者の場合は,gjを精密化し,後者の場合は理想位置からわずかに離れた別の分裂サイトに原子を変位させてみる(もちろん gjは分裂数で割る)のが定石化している.逆に,Bjが小さすぎるサイトには,仮定した原子より散乱能の高い原子が存在している可能性がある.
非常にgjの低いサイトのBjをgjと同時に精密化するのは,事実上,無理である.このような場合,普通はBjを適当な値に固定してgjだけ精密化する.
高分解能の粉末回折データを解析する際には,異方性原子変位パラメーターを精密化することがある.β11j,β22j,β33jはかならず正でなければならないが,時には負となるサイトが出てくる.とくに極低温で測定した回折データを解析する場合には,そのような不本意な結果が出てくるのは珍しくない.負の異方性原子変位パラメーターにその標準偏差σを上乗せしてやっても合理的な値にならないようだったら,そのサイトの熱振動は等方的だと近似するほうが無難である.
占有率と原子変位パラメーターはきわめて相関がつよいので,両者の関係に十分注意を払いながら解析する必要がある.たとえば原子を理想位置からわずかに変位させた場合,異方性原子変位パラメーターを精密化するのは事実上,不可能であり,等方性熱振動で近似せざるをえない.
原子間距離や結合角などに制約条件を付加してRIETAN [11,12] を実行する際,ペナルティー・パラメーターをどれくらいの値に設定すればよいか迷うユーザーが多いようである.ペナルティー・パラメーターが小さすぎると制約条件が十分満足されず,大きすぎると収束性が悪くなる.ケースバイケースで一概に言えないが,残差二乗和とペナルティー項の比を9:1程度にすると順調に収束することが多いようである.
リートベルト解析結果を利用したフーリエ・D合成では,ピーク面積(積分強度)から計算した|Fo|を用いる.各反射あたり十分な数の測定点がないと,ピーク面積は精度よく計算できない.したがってフーリエ・D合成を行うには,ステップ幅に注意する必要がある.
R因子の内RwpやRpは試料と測定条件にかなり依存する.たとえば高いバックグラウンドを与える試料を扱う場合,Rwpはその定義式から明らかなように,非常に低くなってしまう.統計的に予想される最良のRwpがReなので,ReをRwpに付記しておくかS = Rwp/Reで定義されるgoodness-of-fit indicator [13] を明記しておくべきである.Sが1.3以下に下がったならば,解析が成功したとみなしてよいだろう
結晶解析にかぎらず,あらゆる実験データや解析結果の解釈においてわれわれが犯しがちな過ちは,σの大きさを考慮せず,強引に議論を進めることである.たとえばgjが0.98(3)だったとしよう.ここで( )内の数字は最後の桁を単位とするσである.この場合,gj = 1はgj − σとgj + σの間に入ってしまう.その上,リートベルト解析において算出されるσはかなり過小評価される傾向があることが知られている.したがって,0.98(3)という数字からは,このサイトが実際に欠損しているかどうかについて,断定的な結論を引き出せないのは明らかである.結晶解析の結果に基づいてなんらかの議論を展開するときは,つねにσの大きさを意識しておかなければならない.
二つの物理量(原子間距離,結合角,構造パラメーターなど)を比較する際には,当然これらの標準偏差を考慮する必要がある.ランダム誤差の統計によれば,差が 2σ,2.5σ,3σのとき,有意の差がある確率はそれぞれ0.95,0.988,0.997である.差が3σ以上であれば,有意の差があると結論してよいだろう.
筆者が配布している統合化リートベルト解析システムFAT-RIETAN [11] には,原子間距離,結合角などの計算(ORFFE),フーリエ・D合成(FOURIER),結晶構造の作画(PRETEP + ORTEP-II),マーデルンク・エネルギーの計算(MADEL)を行うためのプログラムが含まれている.PRETEPはORTEP-II [14] 用の前処理プログラムである.さらに最近,ORFFEの出力中の原子間距離を各サイトごとに並べ換えるフィルターDSORTが作成された.これを使うと,各原子の結合距離ひいては配位数が一目でわかり,すこぶる便利である.金属イオンと陰イオンの配位数は,有効イオン半径 [15] の和から原子間距離を予想するのにも必要となる.なお原子間距離や配位数は,PRETEPのDMAX命令を使うことによって知ることもできる.
複数のサイトへの元素あるいは電荷(正孔・電子)の分配を調べるのに静電(マーデルンク)エネルギーの計算が役だつことがある [16].完全なイオン結合性を仮定した近似的な計算にすぎない上,格子エネルギーは他のエネルギーからの寄与も含んでいるものの,静電エネルギーから予想したイオン・電荷の配置は,たいてい実際の配置とよく一致する.有名なPaulingの規則 [17] のうち,第2,第3,第4則は,イオン結晶の安定性に関する半定量的尺度としての静電エネルギーを定性的に表現したものにほかならない.
等方性原子変位パラメーターBと等価等方性原子変位パラメーター(equivalent isotropic atomic displacement parameter)Beqとを混同する人が後を絶たない.リートベルト解析と粉末回折パターンのシミュレーションとを取り違える人さえいる.このような間違いは非常にみっともないので,注意を喚起したい.
異方性原子変位パラメーターを報告する際には,βijでなくUijを記述するほうがよい.βij(無次元)では熱振動楕円体の大きさがわかりにくいのに対し,Uijは主軸方向の平均二乗変位(Å単位)に等しく,大きさが直感的に理解しやすい.さらに温度因子をUijの関数として定義しておくことが望ましい.
R因子はつぎのように書くのが正しい [13]: Rwp,Re,Rp,RB,RF.小文字を大文字にしたり,物理量でない添字をイタリックにしている例があまりに多い.
精密化した構造・格子パラメーターおよびそれらから計算された原子間距離や結合角を報告する際には,かならず標準偏差σをつけなければならない.原子間距離と結合角の表中のサイト名には,どの同価位置の原子なのかを示すsymmetry codeをかならず明記する.サイト名とsymmetry codeの由緒正しい記載法については文献 [18] を参照のこと.標準偏差とsymmetry codeを付記するのを忘れる(あるいは知らない)ようだと,結晶学に詳しくないとみなされ,解析結果まで疑われる恐れがある.
結晶解析の結果を論文にする際には,結晶構造を美しくかつ分かりやすく図解することに最大限の努力を払うべきである.無表情な数字を並べたり,文章で長々と記述したりするより,視覚に訴えるほうが,読者が実質的に受け取る情報の量ははるかに多くなるといって過言でない.講演などでOHPシートやポスターで発表する場合は,短時間で構造の概要を理解してもらわなければならないので,なおさら構造図の重要性が増す.
異方性熱振動を表現したい場合はORTEP-II [14] やORTEP-IIIに頼らざるをえないが,一般的な構造図 --- 空間充填模型(space-filling model),球棒模型(ball and stick model),配位多面体(coordination polyhedron) --- を描くときは,Shape SoftwareのATOMS [19] を使用することをおすすめする.IBM-PC互換機とMacintosh用の両バージョンがある.原子,結合,配位多面体に陰影をつけることができるばかりでなく,PICTやEPSなどのフォーマットで記録した図形データをグラフィック・ソフトウェアで手軽に加工できる.最新版はプルダウン・メニューやダイアログ・ボックスを採用したGUIを備えている.
結晶構造を視覚化および動画化(一本の軸を中心として回転)するためのMacintosh用プログラムMolViewがJean-Michel Cense (Ecole Nationale Superieure de Chimie de Paris, 11, rue Pierre et Marie Curie, 75231 PARIS CEDEX 05, France) によって開発された.空間充填模型,球棒模型,配位多面体などの描画モードを即座に切り換えたり,マウスを使って画面上で,指定した領域の原子を一挙に除去したり原子間距離や結合角を調べたりすることができる.ATOMSほどプリンター出力がきれいでなく,論文用の図を描くのには向いていない.しかし,芸術的と言ってもよいほど美的感覚に訴えるソフトウェアであり,解析結果のデモンストレーションや構造化学や固体物理の教育に最適である.思わず息をのむほど見事なアニメーションを楽しんでいるうちに,研究成果に直結したインスピレーションも湧いてくるかもしれない.
筆者の知るかぎり,もっとも表現力に富んだ美しい文書を作成できるのが,無料の組版ソフトウェアTeX [20] である.化学式,数式,特殊な記号などの多い理工系の論文を印刷するのに最適だ.プログラムを作成するのと同じような要領でファイルの作成と組版を行うため,少々とっつきにくいかもしれないが,一太郎やMicrosoft Wordのような重装備のワードプロセッサーよりはよほど容易に習得できるはずである.TeXの拡張命令(マクロ)集の一種であるLaTeX [21] あるいはその日本語版pLaTeX [22] を使えば,文章の論理的なデザインを重視した出力が可能となる.